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死について

これは、自分が死にたいと思ったことがあるから書いている、などというわけではありません。
むしろ自分は、普通の人と同じように、なるべくなら死にたくないと思います。
しかしながら、いつしか死は訪れるものなのだということだけは、意識し始めてきました。
その時、この世に何をどう残すかということも重要なのですが、それ以前に自分が死に対してどのように向き合っていくべきなのかを考えることが、最近は多くなりました。

死がなぜ恐いのか。それは、死んだあと「自分」がどうなってしまうのかが誰にもわからないからだと思います。
巷ではよく「前世」だの「生まれ変わり」だのという話をしてますが、まぁ世間話のレベルであれば別にいいでしょう。しかし、最近では本当に生まれ変わることができるんだという子供も増えていると聞きます。これは恐ろしいことだなぁと思います。
もし、死後の世界があるとして、自分が本当に別の人や生物などに生まれ変わっていたとします。でも、自分が生まれる前に何であったかを覚えている人はいませんよね?…ということは、「仮に生まれ変わっているとしても、現世においては自分の前後の生き様を意識することはできない」という事実を示しているのです。まぁよくよく考えれば、前世を知ったところで、それは遺伝などとは全く関係なく、今の自分とは別個のものなのだから、全く意味のないことであると考えれば、意識する必要すらないということになると思いますが。

自分は、死というものを考えるだけでも、いつもゾッとします。だって「自分」そのものが亡くなって…字を変えて書けば「無くなって」しまうんですよ?…肉体も心も焼かれて無くなるのです。
書き方が悪いかもしれませんが、他人が死んだとしても自分は残ります。だから、他人の死について考えることはいくらでもできます。でも、自分が死んでしまった後には、自分が自分の死について考えることはできません。自分がいくら、あの他人が「さぞや無念だったろう」とか「充実した人生だったのでは」などと勝手に考えたとしても、その他人本人が実際に思っていたことは全く逆だったのかもしれないのです。
本人のことは、本人にしかわからない。その本人ですら、死んだ先のことはわからない。こんなに恐ろしいことはありません。
この恐ろしさを和らげるために、老化していく身体は頭をボケさせていくのだという説もあります。しかし、自分自身で死というものを見つめていくことによって、もう少しだけ死に対する恐ろしさを和らげることができるのではないか…そう思って、時々人の死を実際に聞いたりニュースで見たりするたびに考えてしまいます。

そんな中、最近感じたことを書きたいと思います。

よく言われることに、『見えないもの』ほど大切なものなのだ、というのがあります。
見えないもの…例えば、空気、電気や電波やガス、重力、宇宙の果て、神様、時間、言葉、人の心…見えないものほど大切なもので、そして「守られるべきもの」なんだろうなって思います。実際こうして思いつきで書き出しただけでも、今や我々が生活していく上で重要なものばかりですよね。
そして、死の先の世界も、誰も見ることができません。
発明や創造と称される事象も、実は予め組み込まれている森羅万象を人間が「発見した」に過ぎない、と説明する人もいました。なるほど、人間が知恵を高度化させていくことによって、その知恵に見合った発見がなされていくのだ…と考えると、案外諸々の説明がつきそうな気がします。
でも、死の先は、この先も決して見ることができるようにはならないでしょう。そして人の心が読めるようになることも。死がコントロールできるようになってしまえば、あるいは人の心がコントロールできるようになってしまえば、きっと世界は大変なことになり、この世界、人間、そして地球はきっと破綻するでしょう。
そうした「決してみることができない」大切なものを、無理に見ようと思うのではなく、それはそれとして大切なものなのだという尊ぶ気持ちを持って謙虚に生きていけば、かなり楽な気持ちでいられる気がするのです。

これについては、また数年後にでも書きたいなと思いますm(__)m。

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